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この記事は2023年7月に配布した顧問企業法務通信から抜粋したものです。
皆様は「経済的全損」という言葉をお聞きになったことはありますか?
交通事故により車両が損傷して、物理的に修理が可能である場合、通常、被害者は加害者へ修理代金を請求することができます。
しかし、修理代金が車両の中古相場+買替諸費用よりも高いようなときには、修理代金としては中古相場+買替諸費用までしか請求できないとされています。
このような損害の捉え方・考え方は「経済的全損」と言われています。
では、土地や建物を購入したり、建築を注文したりしたものの、土地や建物に瑕疵があり、補修が必要になった場合には、いくら請求できるでしょうか。
また、建築工事により隣地建物が損傷した場合(土地が沈下したり建物が傾斜したりした場合)には、いくら請求できるでしょうか。
紛争の解決や予防では、責任の有無とともに、損害の捉え方・考え方も重要になりますので、いろいろな考え方があることを知っていただければ幸いです。
(参考文献)
民事交通事故訴訟・損害賠償額算定基準(いわゆる「赤い本」)
判例タイムズ1495号「建築訴訟の審理モデル~不法行為(第三者被害型)編~」
最新裁判実務大系第6巻「建築訴訟」
【1 交通事故における修理費用の損害賠償】
まずは「経済的全損」という考え方について紹介します
【2 不動産取引における補修費用の損害賠償】
不動産取引では「経済的全損」で済むとは限りません
【3 建築工事における補修費用の損害賠償】
建築工事により隣地建物が損傷した場合はどうでしょうか
【1 交通事故における修理費用の損害賠償】
まずは「経済的全損」という考え方について紹介します
(交通事故における修理代金)
・交通事故により車両が損傷した場合、物理的に修理が可能である場合、通常、被害者は加害者へ修理費用を請求することができます
・例えば、交差点の出会い頭衝突の事故により、車両の右側側面が損傷して、板金修理が必要になり、30万円程度の修理費用がかかるような場合です
・交通事故の大半では、(被害者側の)修理工場と加害者側の保険会社の間で修理方法や修理費用について協定を締結して事実上確定させています
・もっとも、例えば、部品交換か板金塗装か、全塗装か部分塗装か等、修理の方法、範囲、費用等が一義的に決まらずに紛争になることもあります
・なお、本題から外れますが、修理代金とは別に、レッカー代、修理期間中の代車使用料、営業用車両の休車損等を請求できるときもあります
(交通事故における「経済的全損」)
・修理代金が車両の中古相場+買替諸費用よりも高いようなときには、修理代金としては中古相場+買替諸費用までしか請求できないとされています
・車両の中古相場は、通常、書籍(自動車価格月報「レッドブック」等)を参照することが多いですが、卸売、下取、小売等のどの価格か確認する必要がありますし、書籍と現実で齟齬がありえますし、最近は中古相場が高騰していますので、オークション相場も材料に交渉することもあります
・買替諸費用は、車両の買替に要する諸費用であり、自動車取得税、登録費用、納車費用、事故車両の廃車費用等であり、一定程度は請求できます
・経済的全損という考え方について、最高裁判例解説では「損害賠償制度は、被害者の経済状態を被害を受ける前の状態に回復することにあるのであるから、被害者が自己によって利得する結果となることは許されない」「損害賠償制度の根底にある公平の観念」等と説明されています
(自動車保険特約による紛争対応)
・修理代金が車両の中古相場+買替諸費用よりも高いようなときでも、車両に愛着がある等、高額な修理費用がかかっても修理したい方のために、自分の自動車保険に「車両超過修理費用特約」を付帯させるという方法があります
※ 加害者側の特約としては「対物超過修理費用特約」があります(使用義務はない)
【2 不動産取引における補修費用の損害賠償】
不動産取引では「経済的全損」で済むとは限りません
(不動産取引における補修費用)
・土地や建物を購入したり、建築を注文したりしたものの、不動産や建物に瑕疵(契約不適合)があり、補修が必要になった場合、買主/注文者は、売主/請負人に対し、目的物の修補の請求(民法562条1項)や修補に代わる補修費用相当額の損害賠償請求(415条1項2項)をすることができます
(ただし、修補に代わる補修費用相当額の損害賠償請求は、415条2項1号~3号(修補不能、修補拒絶、解除)のときに限られます)
・もっとも、瑕疵の修補に必要な具体的な工事方法や内容は一義的に決まりにくいことや、瑕疵のある部分への施工のための瑕疵のない部分の解体・再施工が必要となることから、補修方法や補修費用について買主/注文主側と売主/請負人側で紛争になることもすくなくありません
・また、中古物件の売買では、害虫被害等で補修費用が同種同等の中古物件の市場価格を上回ることがあり、どこまで請求できるかが問題となります
(不動産取引における「経済的全損」の当否)
・交通事故における「経済的全損」の考え方は、最判昭和49年4月15日により既に確立されていますが、不動産取引における「経済的全損」の考え方の当否については、今のところ裁判所の判断が確立していないようです
・そして、文献(判例タイムズ1495号12頁、最新裁判実務大系第6巻198頁等)によれば、不動産取引においては、補修費用が同種同等の中古物件の市場価格を上回る場合について、複数の考え方があるようです
・「経済的全損」を借用すべき(市場価格を上限とすべき)
・「経済的全損」は原則として借用すべきではない(土地や建物は車両と異なり代替性が乏しいから、原則として補修費用としたうえで、買替に合理性や相当性が認められるときのみ、例外的に市場価格を上限とすべき)
(契約書等による紛争予防)
・契約不適合責任は、目的物の品質・性能について、売買契約の当事者間において予定されていたものと現実に引き渡したものとの間に差異があった場合に負うものですので、事前に目的物の品質・性能を十分に調査して契約書に反映して説明義務を履行することで、相当程度回避できます
【3 建築工事における補修費用の損害賠償】
建築工事により隣地建物が損傷した場合はどうでしょうか
(建築工事における補修費用)
・建築工事により隣地建物が損傷した場合、要件(注意義務違反、損害、因果関係等)を充足したときには、隣地建物所有者は、建築工事施工業者に対し、不法行為に基づく損害賠償請求として、補修費用を請求することができます
・建築工事においては、杭打設工事や解体工事の際の振動や地盤の掘削工事による地盤沈下により、隣接する建物等に損傷が生じることがあります
・地盤沈下による建物の不同沈下の補修方法としては、建替、ジャッキアップ、地盤改良(薬液注入)、アンダーピニング(鋼管圧入)等があり、補修費用が高額になりがちで、建築工事以前に隣地建物が老朽化していて市場価格が乏しいことがあり、補修費用が市場価値を大きく上回ることがあります
(建築工事における「経済的全損」の当否)
・交通事故における「経済的全損」の考え方は、最判昭和49年4月15日により既に確立されていますが、建築工事における「経済的全損」の考え方の当否については、今のところ裁判所の判断が確立していないようです
・もっとも、大阪地判平成10年7月31日では、市場価値73万6000円程度、新築費用600万円台、補修費用473万9000円の事案において、「経済的全損」の考え方は採用せず、補修費用相当額の請求を認めました
・なお、裁判所は上記結論について次のように補足しています
「なお、このように解すると、本件建物の客観的交換価値と対比すれば、右修復に要する費用は割高な感は否めないけれども、本件は、動産類が毀損された場合とは異なり、原告が現に住居として使用していた建物が損傷を受け、その利益が侵害された場合であるところ、不法行為制度の趣旨が不法行為により損害を与えた者と損害を被った者との公平を図ることにあることをも考慮すると、客観的交換価値を超えるが新築価格を超えない範囲で必要な修復工事費用を損害と認定することができるものというべきである。」
・また、上記判決と事案も時期も異なりますが、隣接建物の土地の状態や建物の基礎構造等を理由に補修費用の6割を認めたもの(浦和地判平成7年3月10日)、隣接建物が元々立替予定だったことから補修費用を認めず慰謝料のみ認めたもの(大阪地判昭和56年11月27日)等があります
・以上のように、建築工事により隣地建物が損傷した場合で、補修費用が市場価値を超えるときは、市場価値を超える額が認められる可能性があります